こんな行事を体験してみたい【夜のピクニック】
ホルモーを読み終えなんだか学生気分な僕は次なる本も学生ものにしようと決めていました。
ちょっと前に題名と冒頭の入りが面白そうで買った本を読むことにしました。
夜のピクニック 作:恩田陸
みてくださいこのブックカバーを。
なんだか素敵なにおいがします。
チョロチョロと読んでいくとどうやら高校生のお話でこの高校では修学旅行の代わりに夜通し歩く歩行祭というおおきな行事があるそう。
舞台はこの歩行祭。ただひたすら友達と歩くという行事。いやぁ、楽しそう。一回高校生に戻ってこんな行事をしてみたい!とも思うのだけどそれは体験していないからで実際に修学旅行の代わりの行事と考えると最悪なイベントだ……。
作中でも同じような描写があるのだけど卒業生は皆揃って修学旅行なんかより歩行祭が良かったと言うそう。主人公たちもそれはないだろと思いつつ最後の行事に向かっていく。
小説初心者の僕ですが面白いと思える小説は決まって世界観にどっぷり浸かれる。
まるでその世界で一緒に過ごしているようなそんな気分にさせてくれる。夜のピクニックはまさにそれ。
主人公の融と友達として関わっているみたいだったし一緒に歩行祭という一大イベントに参加しているようだった。というのも、この小説には大きな事件や大きなアクシデントがない。
ただただ、伝統として行われている歩行祭のたった一回に参加している。そして、平凡に友達と歩いているだけ。それなのに関わらずおもしろい。なんでかわからないけどおもしろい。
特に大きなことでもないのだけれど些細な気持ちの変化や友達とのリアルな会話が実際に歩行祭に参加しているという気分にさせてくれるからだろうと思う。
歩行祭は夜も歩く。
その中で生み出される名言というか格言が高校生が言いそうだけれどもなんだか本質をついていて立派だなぁと思ってしまう。
その中でも心に残っている言葉がある。
主人公の融に対して親友の忍が説教をするシーン。
どこか俯瞰して見ているような冷静さのある融に対しての一連の会話が思わずおぉ〜となってしまうような深さがある。
忍は従姉妹のはなしをした。
小学生の先生をしている従姉妹からすすめられた本を読まずにいたが高校生になってようやく読んだ。
その時に思ったのが『しまった、タイミング外した』おすすめされた時期にも意味があってその時に読んでいればその本は一生の宝物になったのにと。
「だからさ、タイミングなんだよ」
「あえて雑音をシャットアウトして、さっさと階段を登りたい気持ちは痛いほどわかる。だけどさ、雑音だって、お前を作っているんだよ。雑音はうるさいけど聞いておかなきゃなんない時だってあるんだよ。おまえにはノイズにしか聞こえないだろうけど、このノイズが聞こえるのって、今だけだから、あとからテープを巻き戻して聞こうと思った時にはもう聞こえない。おまえ、いつか絶対、あの時聞いておけばよかったって後悔する日が来ると思う」(略しています)
これは心にぐさっときました。
雑音か〜確かに大人になっていくにつれて雑音から避けていた気がする。
子供の頃はそんな雑音も気にせずに生きていたはずなのに大人になってからは嫌な雑音からは積極的に逃げていた。そして、できるだけ耳を塞いで聞こえないようにもしていた。
この言葉に出会ってから日常にはいろいろなものが転がっていてその一つ一つが自分をるくっているんだ。と思えるようになった。
それは些細なことだけれどもとっても大切なことだと思いました。